紅葉を見に安芸の宮島へ出かけました。しかし、残念なことに盛りは少し過ぎていました。広島でOファミリーと会い2泊しました。その後は神戸に行き、M氏とSさんとお会いし1泊して東京へ戻りました。
安芸の宮島
O夫妻から以前よりお誘いを受けていた宮島行きが、今回やっと実現致しました。人から「宮島はいいよ。神の島だから。」と聞いておりましたが、正直申しまして、私はそれ程は期待をしていませんでした。しかし、宮島にフェリーから降り立った瞬間、言葉では伝えづらい清清しい空気が私を包みました。それは何とも心地よく、たった一泊でしたが離れがたい心境でした。
厳島神社
宿から散歩がてら厳島神社を見学しに行きました。その時は干潮で、砂に埋まった回廊、潮の上にポカリと浮かび立つ大鳥居。何とも摩訶不思議な佇まいとして目に映りました。鹿が剥き出しになった岩場の海苔をついばんでいました。
夜になりO夫妻を波止場に見送りがてら、満潮時の厳島神社を見に行きました。水に浮かぶ造型は昼間のものとはうって変わり、百八灯篭には火がともり、ゆらゆら揺れる水面に映る様はため息が洩れるほど美しかったです。さながら平安時代にタイムスリップしたような錯覚をおこしました。
宿に帰り、旅館のパンフレットを見ると、そこには次のことが書かれていました。現在の厳島神社は平清盛が造営したもの。新・平家物語の中で清盛は「せっかくこの美しい島をこう荒廃させておいては仕方がない。いつの日か、自分がこの浜、この山の自然を生かして、都じゅうにも無い一大天国を造営しよう。たとえば、鳥居なども、世の常ではおもしろくない。前面の海中に大鳥居を建て、島通いの供僧や神主の舟もその投影の中を漕ぎ入ってくるようにしたらよい。社殿、拝殿の左右に曲折させる長い回廊も、脚を海にひたし、潮の干潮に変化を見せ、夜は百八灯篭をともして、光を波に染ましめたら、どんなに、美しいさを加えるであろう。まず、中央に社殿、千畳閣を築き、多宝塔や五重ノ塔は、山腹の松の木がくれにのぞかせよう。堂舎、楼閣も木々をつづり、岩山へ寄せ、造型の粋と天上の美とを、この島に競わせてながめるのは、大なる楽しみではあるまいか。」と神主の佐伯景弘に向かって語っています。
それを頭に入れて、まじまじと観賞しますと、ただただ800年前の人々の力に感心するばかりです。次回は満潮の時に、怒られるのを承知の上で、回路に座り脚を海に浸し思いにふけてみたいものです。
Oさんの会社の社員
広島の最後の夜にOファミリーと会社の社員の方とO氏宅で酒鍋をしました。社員の方は皆さん実に礼儀正しく、よく働きます。この日も午後から私達の為に酒鍋の用意をして下さりました。Oさんの会社へ行きますと皆さん優秀で、どうして優秀な社員の方ばかり揃うのか感心します。Oさん曰く「上に立つ女子社員のKさんがいいからですよ。」と社員の方を褒めておりました。
さとし君の夏休み
O夫妻の次男さとし君はチャウチャウに似た、某一流大学の医学生。将来はお母様の後継者を目指す、今時では珍しい好青年です。そのさとし君がお兄さんと昨年の夏・フランスとイギリスへ行かれました。その時の事を夢中で話すさとし君。「旅行はとっても楽しかったんですけど、僕、2週間の旅行中、7kgも痩せたんです。」と語る。話しを聞いてみると、某国営大学に通っている小泉孝太郎君を凛々しくした感じのお兄様から「お前は朝起きてから口を開けるとお腹が空いた。と言って、他に言う言葉はないのか?」と言われ、「お腹が空いた。」と言えなくなってしまったそうです。「それで何を食べていたの?」と尋ねると「朝起きてから夜まで一日中歩き回り、夕食はビスケットを2,3枚を食べて終わりです。でも、最後の夜は奮発してファミレスに行きました。」とニコニコしながら話します。日頃から厳しい訓練生活を送っているご長男は旅行中でも決して怠けず、凛としていたようです。O家の教育方針でしょうか、さとし君はご長男に逆らわず、それでも兄弟二人旅はとても楽しいものだったようです。
それって、親切なの?=広島菜
神戸の従姉のお土産をデパートに買いに行きました。探していたのは夕食で食べて美味しかった広島菜。お店の方が「これは生ものなので、明日持っていかれるのなら明日買われたほうがいいですよ。」と教えてくれました。私が「駅でも買えますか?こちらのお店と駅ではどこか違いがありますか?」と尋ねるとお店の方は「何処で買っても同じですよ。」とニッコリ。私達は「東京だったら嘘でも、『それはうちの方が専門店ですから美味しいですよ。』とかなんとか絶対に言うよね。」と言って、お店の方の正直さに苦笑しました。
翌日、切符を買ってから乗車するまで4,5分も無く、気がついた時は手ぶらで新幹線の席に座っていました。
次回へ続く・・・・