私は「鮑家の台所」を通して、「学ぶ」ことを知りました。当初の私は文章を書くにはすべてにおいて未熟でした。何でもいいから何かを自分に入れない事には何も出ませんでした。
子供の頃、私は勉強も学校も先生も嫌いでした。勿論、成績はよくありませんでした。英語は大の苦手でしたし、歴史や地理は覚える事が多すぎて覚えきれませんでした。数学は暗記するものだと思っていたので、テストが終わると同時に忘れていました。
ここにきて、勉強もしていないのに英会話がいつの間にか出来るようになり、歴史の本も好きになりました。不思議なものです。
「鮑家の台所」を始めてから必要な情報や知識として「学ぶ」ことを始めました。誰かに強要されてするのではなく、自らの意思と興味により学び始めました。幸い、夫は子供の頃は勉強が嫌いでも成績優秀だったので、解らない事は手当たり次第尋ねました。また、結婚してからは夫の沢山の友人に会い、知らない事が山ほどあるのに気づきました。皆さんとの会話に入る為に「もっと知りたい」と思うようになりました。
私は子供の頃、勉強をしなかったので自分の中でコンプレックスがありました。そして「私は無知だ」と自分で分っていたので、人に物事を尋ねるのが少しも恥かしくありませんでした。私の知らない事を知っている方達や経験している方達を心底尊敬し、その方達から学びたいと思いました。学ぶことにより皆さんのそばに少しでも近づきたいとも思いました。教えて頂いた事をすんなり、丸ごと、何の疑いも無く自分の中に取り入れました。私には疑うだけの知識が無かったのです。
学ぶ方法は「本を読む」か、「人から話を聞く」しかないと言います。本で学んだ事を人と話すようになり実感したり、より深く自分の中へ浸透しました。また、逆の時もありました。それを繰り返しているうちに、バラバラだった知識が点から線に、線から一つの固まりになってきたきがします。
私が興味を持ったことは主に雑学ですが多種多様に渡ります。いろんな事が解ってくると面白くなってきました。知識が増えると言うことは、物事を判断する時にブレが少なくなると思いました。何か問題が起きた時、今まで答えが一つか二つしか考えられませんでしたが、もっと多角的に判断出来るようになりました。その結果、動揺したり必要以上に落ち込んだりしないですむようになりました。
物事を客観的に見られるようになり始めて、私は自分を振返ることができました。自分の気持ちがなぜ不安定になるのか?その原因は何か?自分の欠点を知り、気づいたことにより対応方法が生まれないにしろ、回避するように心がけられる様になりました。学んだことにより、物事を客観的に判断できるようになりました。それにより自分を知りました。私は「学ぶ」ことにより生きるのが楽になった気がします。
10年程前に夫から「山岡荘八さんの織田信長」を読むように奨められました。それが面白くて、豊臣秀吉、徳川家康、武田信玄、伊達正宗、源氏物語等多くの歴史の本を読みました。温故知新の通り、歴史の本からは多くの事を学びました。今は塩野七緒さんのルネッサンス時代の本を読んでいます。難しくて、なかなか先に進まないのですが面白いです。
私にとって「結婚」は人生の転機でした。生活の中にはあらゆる要素が含まれており、家計のことはいわゆる個人商店の経営と同じで、料理をすることは健康管理と人間の最高の欲求を満たす為に。病気をとおしては医学と宗教を学問として勉強しました。運動をすることにより、体を管理し自らコントロール出来る様になってきました。風や空、木などの自然から、日々の生活に必要なかてをしりました。それが道教につながっていたのかもしれません。「鮑家の台所」をとおして、観察力、洞察力、書く事を覚えました。ファミリーや夫の友人達との人間関係は私の人間形成にとても役に立っています。
「学ぶ」と言うことは、謙虚は気持ちになればあらゆる物から学べるものだと知りました。「学んだ」ことにより人の考え方は変わり、結果、人は何度でも変われるものだと身を持って体験しました。「変われる」って、素敵な事ですから。